アメリカ合衆国では、1930年代より余剰作物の有効活用として学校給食の援助がスタートした。敗戦後の給食は、第二次世界大戦後のアメリカのヨーロッパに対する支援が一段落し、溢れるアメリカの農畜産業の余剰生産物のはけ口として日本の学校給食が狙われた。学校給食は、極端な米食重視だった日本人の食生活を大幅に変容させ、日本にパンや乳製品の消費が定着する一因ともなった。
それぞれの自治体の方針によってやや事情は異なるが、基本的に下は幼稚園や保育園から小学校を経て、中学校までが一般的で、ほかに定時制(主に夜間)高等学校で給食が提供されている。近年、一部全日制高等学校においても学校給食が開始されはじめている。
小学校教育をイメージさせるキーワードとして学校給食は欠かせない要素であり、中学校でも給食が提供されている地域は増えている。学校給食にノスタルジーを感じる大人向けに、給食と同じようなメニューを提供するレストランも存在する。給食にかかる行政コストが問題になったり、「親が愛情を込めてつくった弁当を食べることで親子の会話ときずなも生まれる」として、学校給食廃止が議論になっていた地域も多かったが、近年食育の意識や格差是正の観点、栄養の偏りの是正、共働きの増加など給食維持の声も強いため廃止論を言う者は少なくなっている。
一般的な学校給食は、朝からの4時間授業のあと、正午過ぎ~午後1時の間に配膳され食し後片付けを済ませる。ただし、定時制学校では時間帯や量が異なり、例えば朝食を抜いてくる事が判っている児童に朝に軽食ないし糖分を含んだ飲み物を提供するところや、深夜授業に備え夜食を提供する学習塾など、様々な事情に即した給食の形態が見られる。
かつては、「偏食や野菜嫌いなどを矯正する」という観点から、残す事を禁止する教師が圧倒的に多かった(全部食べきるまで昼休みの時間もずっと残されて強制的に食べさせられた)。しかし、食物アレルギーに対する配慮などから、残すことを禁止する風潮は減りつつある。特に症状の重い(そばアレルギーによるアナフィラキシーなど致命的な拒否反応が出る)児童・生徒は、学校側との交渉の上、給食をとらずに弁当を持参することが認められるケースもある。また、食べる前に食べられる量まで減らすように指導する教員も増えている。ただし、担任の考え方により給食を残すことを是か非かとするかはかなり異なり、未だに残すことを禁止している教員も存在する。
余った分は欲しい人に対して開放するほか、デザートや人気メニューについては教師の指導の下、ジャンケンや特配などの方法で争いが無いように分配されるなど、「集団内のルールを作りながら問題を解決する」といった基本的な社会性の教材的な扱われ方も見られる。1990年代よりは食育という「食事の教育的側面」が注目されるようになり、郷土料理の取り込みや地域産品の活用も見られるが、その一方で余剰地域産品の重要な消費先ともなっており、地域農林水産業の影響も見て取れる。
牛乳では2004年度の給食消費量は385,543キロリットル(前年度比-2.7%)となっており、これは加工用乳含めた全牛乳生産量の9.8%であるが、この学校給食消費量の微減傾向は2005年に前後する牛乳供給過剰問題の一因にも挙げられている(畜産情報ネットワーク推進協議会調べ)。
給食制度が始まった当初は、パンに比べて価格が高いという理由からご飯が給食に出されることはなかった。1976年から給食にご飯が登場するようになり、食育とあいまってご飯を中心とした日本型食生活の促進が期待されるようになっている。国会でも、まだまだご飯食を増やしたいと意向が示された。近年では週に3回程度、ご飯が出るようになっており、さらに週4回まで増やすことが検討されている。
学校給食は、学校の地位を高めるとして、ホテルに給食サービスを委託する動きもある(京都の同志社小学校と立命館小学校がホテルに給食を委託した。
学校給食は学校内で全て同一の分量が出るわけではなく、いくつかの種類に分けられている。一例としては小学校低学年、中学年、高学年、中学校と4段階に分け、分量をそれぞれ設定するなどがある。ただし、これらの規定は「同学年=同年齢」という年齢主義に基づいているため、想定年齢より高年齢の在学者に対しても、その学年用の給食が支給されることになる。
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1889年(明治22年)に山形県鶴岡町(現鶴岡市)の大督寺内の私立忠愛小学校においておにぎり・焼き魚・漬け物といった昼食を貧困児童に与えたのが日本で初めての給食とされている(ちなみに鶴岡市では12月になると給食記念日と言う事で当時の給食を再現されたものを出される)。
1944年(昭和19年)、6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・みそ等を特別配給して学校給食を実施した。
1946年(昭和21年)12月24日戦時中中断されていた学校給食が東京、神奈川、千葉で試験的に再開される。
1947年(昭和22年)1月、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される。
1949年(昭和24年)、ユニセフ(国連児童基金)から脱脂粉乳が贈られユニセフ給食がおこなわれた。
1950年(昭和25年)、アメリカ合衆国から小麦粉が贈られ都市で完全給食がおこなわれた。
1954年(昭和29年)、保護者においても好評で存続が望まれ、学校給食は教育の一環として学校給食法施行。
1956年(昭和31年)、学校給食法一部改正。中学校にも適用されるようになった。「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」が公布された。
昔は給食ならではのメニューが多かったが、世代や地域によって思い出に相当の違いが見られる。戦後、アメリカで大量に残っていた小麦粉を日本に安く売り、それをパンにして提供し日本人の食文化に多大な影響を与えた。そして、高度経済成長をへて日本が豊かになるにつれてその内容は大きな変遷をとげてきた。1958年(昭和33年)に脱脂粉乳が牛乳へ、[要検証]1976年(昭和51年)米飯給食が開始、後にパンは週1回程度になりご飯が主食となり(日本人の食事の洋食化に伴い、米の生産量の増大と反比例して消費量が減り、余った古米、古古米の処理のため)、パンをクロワッサンに、汁物をトムヤムクンになど、従来あまりなじみのなかったメニューも供され、近年では普段の食事と変わりないかそれを上回るメニューが多く登場している。食物アレルギーを持つ児童生徒に対応した特別食を作る場合もある。
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